よく鳴く
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足元にまとわりつく茶色と黒の縞の生き物はぐるぐると喉を鳴らしている。不安定な位置とその小さな体のせいで、伊達はリビングに立ちすくんだまま動けない。
「あ、何や来たンかあんた」
珍しくテーブルに向かって、何やら文字が羅列してある紙を見ていた真島が伊達の方を向く。
「何や、ッて、これ、何だ」
戸惑ったままの伊達が眉根を寄せれば、見りゃわかるやろ猫や猫、平然とそう言ってしゃがみ込み、あまり丁寧とはいえない手つきで真島は猫の背中を撫でた。人懐っこい猫らしく嫌がりもせず逃げもしていない。伊達もつられるようにおそるおそる手を伸ばしてみる。動物を撫でるのはよく考えれば久しぶりだった。背中を撫でればにゃぁとかわいらしい声で鳴く。
「いや、お前、何で猫がいるんだ、ッて」
猫を撫でてる場合ではない。伊達が急に立ち上がったものだから、猫は驚いたように台所に行っていた真島の足元に駆け寄る。
落ちとった、と答えながら、猫用らしい真新しい陶器の皿に真島は牛乳を注いで猫のそばに置いた。ふん、と匂いを嗅いでから猫はミルクに赤い舌を伸ばした。牛乳のパックを片手に持ったまま、その様子を眺めていた真島も一口直接口をつけて飲む。伊達にも差し出してきたので無言で受け取って一口飲んでから、質問を再開した。
「落ちてた、ッて道にか?」
たまに人間も落ちているこの街なら何が落ちていても今更伊達も驚きもしないが、拾ったのが真島と言う事には少なからず驚いていた。その光景を想像するだけで笑みが漏れてくる。
「何や、下ン奴等が言うには結構前からいたらしいンやけど、母猫おらんようになったみたいやからこのままやったら死ぬかも知れんゆうし」
「はぁ……名前は?」
まだ決めとらんと真島はつぶやいた。
「オスやからふとしにしよかと思ってたンやけど、親父にバレて怒られてしもうた」
なー、猫、ふとしもえェよなー。
そう言って猫を撫でてから真島はひょいと手を離して、テーブルに行って名前が羅列してある紙を睨む。猫はまたぺちゃぺちゃと音を立てて牛乳を飲み始めた。
そんな二重三重に悪趣味な名前をつけてやるなと喉元まで出掛かっていたが飲み込んで、伊達は横に行って一緒に紙を眺めた。たろうだのじろうだのオーソドックスなものからラッキーやらラッシーやらどこの犬の名前だというものまで様々な文字が書いてある。
「早くちゃんとした名前つけてやれよ」
伊達が手を伸ばせば、流石に撫でられるのに飽きたのか猫は足音も立てずに去って、部屋の隅のタオルを何枚もしいてある寝床らしい箱に横になった。

ピピピピピとけたたましい電子音が部屋に響いた。玄関から聞こえてくる音に伊達が真島を見る。
「あれ、お前のだろ」
「あ、携帯、玄関や」
足音をさせて、真島は玄関に消えていった。伊達は一人部屋に残される。暇になって辺りを見回せば、箱の中からこちらを見ている茶色と黒の猫と目が合った。
「……ごろう」
ふと思いついて伊達は猫を呼んでみた。しゃがみ込んで目線を合わせ、もう一度呼んでみる。猫は箱から出るが、まだ警戒しているのか素早く椅子の陰に隠れた。
ごろー。
更に伊達が呼べば、隠れた猫はしばらく辺りをきょろきょろと見回していたが、他に動くものが無いことに気付くと、にゃぁと一つ鳴いて近寄ってきて、頭を伊達の手のひらにこすりつけてきた。手の中の体温や毛ざわりは気持ちよく、はは、と伊達の口から笑いがこぼれる。
不意に、伊達の視界が翳った。後ろにいきなり現れた男の気配に、ぞわりと身がすくむ。
「ごろう」
にゃぁ、とさっきと同じように猫は鳴いて、伊達の横をすり抜けて今度は背後の真島の足元に尻尾を振って寄っていく。
「ほうかー、お前ン名前、ごろーになったンかー」
後ろから聞こえる真島の甘い声に伊達は背筋が総毛立つ。あの馬鹿日頃は騒がしいくせになんでこんな時だけ静かに戻ってくると理不尽な悪態を吐きながら、伊達はゆっくりと部屋を出ようとするが、肩をつかまれ壁に押さえつけられる。
「その……すまん」
伊達は隻眼から目を逸らして、一応謝っては見る。真島の笑顔は気持ち悪いくらいに穏やかで、それが伊達の心臓を余計に冷えさせる。
「御免で済んだら、」
「警察は要らねェよなァ……」
口端を引きつらせながら伊達が笑えば、よゥ出来ました、と真島が耳元で囁いて軽く首を噛んできた。真島を引き剥がし、今日は帰れなさそうだと伊達が溜め息をついていれば、猫が足元に寄ってきて、来た時と同じようにぐるぐると喉を鳴らしてくる。
「……ごろう」
つい伊達が名を呼べば、狂犬と猫が揃って返事をした。




かわいいもの(猫)とかわいくないもの(オッサン二人)を組み合わせればどうなるかという実験の産物。
結論:元のまま
気が向けばシリーズ化したいです。実は猫の細かい設定もあったり。