ハローグッバイ
------------

はぁー、と息を吐いて伊達は両手を暖めた。いくら秋とはいえ、風が吹いて雨が降っていれば寒いものは寒い。こんな日に人気の無い海なんかに来て、寂寥とした砂浜を目の前にして階段に腰掛けているには訳がある。
「オッサン、こっち来ィひん?」
15メートル程先の岩場に仁王立ちになって、ほぼむき出しの胸や腹に吹き付ける潮風や雨粒を一杯に浴びながら真島はげらげら笑っている。馬鹿かお前、と舌打ちして伊達はコートの襟を立てた。風が強いせいで百円ライターの火はすぐに吹き消えて煙草も吸えない。自分と大して変わらない年の筈の男の笑い声が風に乗って聞こえてくる。
「寒い、ンだよ」
辺りを見回しても自販機一つ無い。そもそもここがどこで何という浜なのかすら伊達は知らない。後部座席から身を乗り出した真島がカーナビをいじって勝手に目的地に設定して、伊達ははそこを右とか左とかの指示に従って来ただけだ。帰りにガソリン代を真島に払わせようと伊達は決心した。
それから十回程の挑戦の後、風が凪いだ時を見計らって火をつけた煙草を咥えて、伊達は未だ岩場でうろちょろとしている真島に叫んだ。
「真島ーッ、そろそろ俺は帰るぞッ」
「えー、あんた帰ったらワシどうすんの?」
「さっさと来ねェなら、置いてくからな」
言って、伊達は立ち上がって砂を払った。そのまま階段を上ろうとして、ふと振り返れば真島はまだ岩場にいて、しゃがんで貝をいじっている。伊達の視線に気付き、にや、と笑って顔を上げると言った。
「置いてかんの?」
「ンな冗談言ってると本気で置き去りにするぞ、おい」
ここだとタクシーも来ねェぞ、背を向けて伊達が叫べば、行く行く、行きゃええンやろ、とやけくそ気味な声が帰ってきた。身軽なこなしで岩場から跳ぶ様に降り、真島が歩き出す。
「けど、いつかあんたと別れる時、こうなる気がするで」
背後から飛んできた声は予想外に落ち着いていて、何かを答える暇も無くコートをばさりと翻して伊達は振り返る羽目になった。口から間抜けな声が漏れて風に消える。
「きっとあんた、俺の事振り向かずに置いていくンや」
そう言って一度目を閉じてから、真島は、にや、と寒さで歯の根の合わない口で無理に笑った。痙攣しているものだから歯ががちがちと音を立てている。その頬の冷たさを確かめたい欲求に伊達は襲われて、伸ばしかけた手をすんでの所で押し留めた。砂をざくざくと踏みつけて近寄る。
「……くだんねェ事言ってないで帰るぞ」
「なァ、オッサン。えッらい、寒いわ」
「あ?」
ふっと顔を上げた直後、口から煙草を取り上げられる。そのまま流れるような動作で真島は頭を引き寄せてキスをしてきた。こういう人の隙に入り込むような行動が、本当に、腹の立つくらい、上手いと伊達は思う。
無性に悔しくなって伊達は知らぬ振りをして真島の靴を踏みつけた。抱きすくめられたままでやり場に困った両手をただ握り締める。縋るとかのやり方を知らないのだから、どうしようもない。こういう時、眼は閉じた方がいいのか開けていた方がいいのかわからないから、結局伊達は薄目を開けて真島の閉じられた眼を見ていた。
それも、真島の舌の動きに促されるように自分の口から変な声が漏れてきて、直に伊達には不可能になった。それでも手の置き場はわからないままだった。
飽きた猫みたいに喉を鳴らして、真島が口を離した。べた、と貼り付くようにもたれかかってきて、伊達は両手で押しのけた。触れた胸の冷たさも、かじかんだ手にはわからない。
「オッサン、寒い。コート貸してェな」
「そういうの自業自得ッて言うンだよ、やなこった」
言って背を向けて、伊達は新しい煙草を咥えて火をつけようとする。火は点かない。火花が散るだけで風に吹き消される。それでも何度もフリントを鳴らす。
ここじゃ点かん、ッて。
見透かしたように、後ろを歩く真島が笑った。笑い声も潮風に乗ってすぐ消える。
うるせェ。呟いて振り返って後ろに真島がいる事確かめて、ようやっと諦めがつき伊達はライターをポケットにしまった。咥えていた煙草を箱に戻す。
「何が、置いていく、だ」
振り向かずに置いていくのも、後ろを向いている間にどこかに消えるのも、傍から見れば差なんて何も無い。置いてかれるのも置いていくのも、大して変わらない。
「お前が、いつか勝手に消えるンだろ」