デッドエンド
--------------------


あんたの、とそこまで言いかけて真島は息ごと続きを飲み込んだ。
黙れと言ってもちっとも聞かないくらいにべらべらと話す男が口を閉じているのは不気味と言ってもよく、耐え切れずに伊達は口を開く。
「俺がどうかしたのか」
「やる事なす事言う事全部気に食わん」
「別に、お前に気に入られようなんて思ってねェよ」
真島の目が据わっていて、いつものように軽口を叩き返す伊達はそれだけが気がかりだった。話しながら眼の奥でにやにやとこちらの反応を見て笑っている男だった。
息を止めたように黙りこくった後、真島は伊達の方を再度見た。
「なァ、オッサン」
何だって伊達は出来た。
用を思い出したといかにもわざとらしく言ってみたり急にトイレに行ったりコーヒーをこぼしたりテレビをつけたり電話をかけると言って外に出たり、会話を中断させるだけの方法なら幾らだってあった。
そのどれをも選ばなかった理由を考える前に真島の口が動く。
また今日も、逃げられない道しか選べなかった。



境界に立つ
--------------------

目にした事は何度かあったが、直に触った事は今までの人生の中では皆無だったので、そういう意味で伊達は少し興奮していた。柄にもないと、自分でも思う。半裸の男二人が何をやっているのだというつっこみは後にする。
「話には聞いてたが、本当に無いンだな」
温度、と付け足してつう、と伊達は般若の角に沿って爪を滑らした。やめェ、くすぐったいわ、と軽く身をよじって真島が喉を鳴らして笑う。
芸術だとか美だとかそういう類の事は伊達にはわからなかったが、僅かな段差と冷たさが男の背中の模様を明らかな創作物だと示す。手の下で確かに脈は打たれ、息をするたび僅かに揺れもする。それでも熱は無く、当の昔に生き物をやめている。
「お前にはお似合いだよ、これ」
オッサンそれどーいう意味や、と顔半分だけ振り向いてうすく真島が笑った。答えず伊達はただ般若の角を撫でた。
元は人だったかも知れないが、己の責で人ではないものに成り、それでも人に執着するのをやめない。それは全く持ってこの男そのもので、気持ち悪いくらいに似合っている。



浮世の熱
--------------------

「人ン家の冷蔵庫で涼むなや、オッサン」
目の前の冷蔵庫に顔を突っ込んで、ああ冷てーと間の抜けた事を言う背中を真島は蹴った。悪びれもせず、ばたんと音を立てて伊達は冷蔵庫の扉を閉めた。
だったらクーラー入れろよ。
「あとお前、ビールの他にも何か入れとけよ」
スペースが勿体無ェ、と呆れたように呟いて伊達は顔を手で仰ぐ。
「これだって、前に来た時俺が買ってきたのだろ」
伊達は冷凍庫から透明な袋に入ったソーダ味の棒アイスを二本取り出して、真島に片方を投げた。ぴり、と袋を破いて甘いだけの氷に歯を立てる。
「オッサン、今日何か用あったン?」
真島が聞けば、
「さぁ?暑ィから、忘れた」
はぐらかすというよりは、本当に忘れたようにふにゃふにゃした顔で笑って伊達はアイスを齧る。真島は特に言う事もなくなって冷房代わりにガリガリと同じように棒アイスを食べるしかない。
沈黙は好きじゃない。
「……する?やったらクーラー入れるで」
「主語言えって」
「セックス」
顔だけは大変に戸惑ったまま、伊達は慣性で水色のアイスを噛み砕いた。真島は平然とアイスを食べ終わって、あと一本食べようかどうか考える。
「お前さァ。何つーか……他に言い方とか無ェのか?」
「……アンタがそれ言うんか?」
「言っちゃ悪いかよ」
「何か、今、アンタが別れた理由わかった気がしたわ」
「おい、お前に俺の何、がッ……」
言い終わるのを待たずに口を塞いだのは、単にこれ以上余計な事を聞きたくなかったからだ。
そんなものいらんと最初に放り投げたのはどちらだったか、もう忘れたというのなら何をしてでも思い出させてやる。



草も生えない
--------------------

べろ、と性器を舐め上げた後、顔をこちらに向けるのは心臓に悪いからやめて欲しいと、真剣に伊達は思う。
「……頼むから、一遍、死んで欲しい」
口を離し、いけずやなァ、と困り顔と笑い顔の中間のような顔をして真島は言った。口を黒い手袋の甲で、ぐいと拭った後、膝が痛いと言って笑う。椅子に座ったままの伊達は逃げる事も出来ない。
死んで欲しいのはこんな事を平然としている男も、黙っていいようにさせている自分もだ。
畜生、と呟こうとした言葉は喉の奥でつぶれた。頭の中心がぐるぐると回るようで、気持ちの悪い声が自分の口から漏れそうになる。舌を噛んで押し留めたら、ただひゅうと喉が鳴った。
面白くもないテレビを見ている時と似たような顔で視界の下の真島は側面に蛇みたいな赤い舌を這わす。眼下の笑えない情景を認めたくなくて、伊達は目を瞑る。それでも瞼に残った赤は消えなかった。
「……楽し、いッ、か、てめェッ」
「ああ、めっちゃ。頭溶けそーなくらい」
聞こえてくる声が殴りたいくらいに一本調子で、もう一度、畜生、と伊達はつぶやく。どうして、こう、いつも、自分ばかりが。
先端を口に含んだまま、急に何か思い出したか思いついたように真島が口を動かした。ぬるりと動く舌の熱で息が詰まる。
「聞こえッ、ねェ、よバカ」
暫くはこいつの顔なんか見たくも無い。会う度にそう胸に誓っているというのに、このていたらくはどういう事だ。何が本音なのかどれがたわ言なのか見分けが付きやしない。