見てはいけないものを見た。

ここではよく人が死ぬ。ある日いきなり殺されて路上に転がる。
ごすっ、と物騒な物音がした路地裏を覗けば、ビリーが壁に寄りかかって空を見上げていた。足元には多分死体が倒れている。
革パンのポケットから薄く折りたたまれたハンカチを取り出して、ビリーは返り血で汚れている顔をごしごしと擦った。顔が終わったら血で汚れている棍の先を拭って、また折り畳んでポケットにしまった。
そこまでしてから山崎の方を見て、ビリーがにへら、と緩く笑って手を振ってきた。
わざとらしく無視して、山崎はビリーから目をそらして舌打ちする。
人殺しのくせに、仕草ばかりがまともなのが気にくわなかった。血を拭うのも汗を拭うのもビリーにとっては何も変わらない。
気付いたのは最近だ。ビリーは、単に喧嘩と上司とあと妹がいっとう好きなだけの血の気の多いごく普通の人間で、別にすえた臭いのする路地裏でなくても日の当るところでも変わらず生きていける。それでも不自由な道を選んで血に塗れている。
要するに馬鹿なのだ。それだけの生き物だ。
「山崎、右手」
「あ?」
言われて手を見れば、くすんだ赤色をしている。そういえばさっき餓鬼が刃物なんぞ向けてくるから、あくまで軽く、撫でてやったところだった。やっぱりここはよく人が死ぬ街だ。
「汚ェんだよ、ちゃんと拭け」
手を掴まれ、ハンカチのまだ汚れていないところでがしがしと拭かれる。時間が経ったせいで血はねばついて、なかなか取れずに爪の隙間にこびりついている。それでも少しずつはがれていくようで、ビリーのハンカチが段々と汚れていく。
馬鹿は死ななければ治らない。ビリーも死ねばもっとましになるのだろうか。この男がもう二度とこんな馬鹿な真似をしなくていいように生きられるならば、殺すのも悪くないと思う。
ぞんざいなのだか細かいのだかわからないやり方がビリーらしくて、山崎は少し笑った。笑った直後なぜか泣きたいなぁと不意に思ったのだが、如何せんもうずっと泣けたことがなかった。




見なくていいものでも見る。

決して近寄らせることこそないが、彼の拳を喰らった者は例外なく血反吐を吐いてその場に倒れこむので、山崎竜二の足元には結果として血だまりと死体と死体未満が山を作っていた。
最後の一人が崩れ落ちて、山崎の右腕がだらりと下がる。にぃと釣り上がっていた口が元に戻り、楽しそうに輝いていた目玉から温度が急速に無くなっていく。
「お見事」
ふざけて手をぱちぱちと叩いてみれば、じろりと睨まれた。それでも睨んでくる目に先ほどの温度はない。それをビリーはただ残念に思う。
楽しみたいのなら素直に楽しめばいい。その権利を十二分に山崎は持っている。後で悔やむくらいなら呆れるくらいなら、最初からしなければいいのだ。
馬鹿だ。損得勘定にすこぶる頭の回る男ではあると知っているが、肝心なところで詰めが甘い。今だっていつだって、過去だとか日頃の自分だとか、そんな不確かで何も出来ないものたちに縛られている。
何も持っていないくせに、何にも背負っていないくせに、自分で自分を抑えてはあれこれ悩んだり狂ったりしている。馬鹿もここまでくるといっそ愛しい。
血まみれの右手を壁にこすりつけて、山崎が歩き去ろうとする。見物ばかりで退屈だったので立ち塞がってみれば、汚れた手で胸を押された。
「失せろ、犬」
「黙れよ、蛇野郎」
見え透いた挑発だったが、山崎が足を止める。死ぬか、確認のように呟かれた。冷たい目線が向けられて、次第に熱風のような殺意を帯びていく。それらが混ざり合って、移り変わる瞬間がたまらなくビリーは好きなのだ。口が知らず知らず笑いの形をとる。
「疲れてンなら手加減してやろうか?」
「……死んだら黙るかテメェ?」
右頬を山崎の拳がかすった。こんな事でしか目に温度が灯せないのなら、そんなに悲しい生き物ならここで殺してやるのが情けかもしれない。そんなことを考えながら、ビリーは山崎が作り出した血だまりを踏みしめてから蹴りあげた。少し遅れて、ぱしゃりと血が跳ね上がる音が聞こえた。




人の事を馬鹿って言う方が馬鹿。